NEW JEANS

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"辛いのは変な憶測、やりがいは私の方向に共感する人たち"[ミン・ヒジン インタビュー2]

2022.08.10 The JoongAng インタビュー

https://www.joongang.co.kr/article/25093280

 

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ミン・ヒジン代表はNew Jeans公開6ヶ月前から個人生活というものが無かったという。あまり寝ずに、24時間仕事中である時が多かったということだ。それほど仕事にしがみつく理由について彼女は"指示する位置もかなり不便なポジションなので私がもっとやるしかなかった"と説明しながらも"でも楽しい"と何度も付け加えた。デリケートな完璧主義者が責任感が強い時に出会うジレンマと見えた。彼女はKPOPグループ製作の苦しみと楽しさ、やりがいについて言いたいことが多かった。

 

Q.プロデューサーデビュー作の感想は。
A.代表取締役とプロデューサーの役割は違う。今回は総括プロデューサーの役割に集中した。従来とは異なる音楽を試みるためには楽曲自体も重要だが、メンバーたちの消化力が重要だった。"違い"は一つだけ変えたからといって実現するわけではない。私が描いたチームの姿は自然さそのものだったので、ボーカルトレーニングの方式やボーカルディレクティング、ミックス、マスターのスタイルを従来とは違うように要求した地点が多かった。誰かを真似せずに曲の感じを自ら解釈できるようにすることが重要だったため、ガイドボーカルなしで、自分だけのボーカルスタイルを作れるようにした。目的とする雰囲気演出のためにアドリブ表現のディテールだけでも何度も直したりもした。振り付けも同様だ。私の志向点は自然さを最大限に表現することと、既存の方式から脱皮した意外性にあった。パフォーマンスディレクターに自分の意図と求める感じについて正確に説明することが優先だった。MVの演出も、自分の作業について理解のある監督たちを起用し、実務担当者を置かずに直接コミュニケーションをとりながら進めた。総括プロデューサーが実務担当を同伴せず直接進行するケースは稀だ。誤解するといけないが、こういった状態が正しいと言いたいわけではない。仕事のやり方に正解は無い。プロデューサーデビュー作のため、それほど差し迫ったプロジェクトであったという意味だ。私が審判台に上がる仕事なので、一つ一つに気を遣わざるを得なかった。全てが腕組みをして鋭い目付きで私を眺めている感覚だった。

 

Q.一番つらい時はいつか。投げ出したい、と感じたり。

A.ほぼ毎日。(笑)皆そうだろうが行ったり来たりする。だからといって、楽しさ無しに毎回辛いというわけではない。なぜ私は相変わらずこうなるまで働くのか、自問するときが多い。仕事が面白くはある。だけど面白いからといって辛くないわけではない。それでも私は些細なところに幸せを見つけるタイプなので本当に良かったと思う。たまに何も考えず見上げた空に幸福感を感じるから。漠然と決定権があったら何か少し変わると思った。だが決定権があっても以前と少し違うことをしてみようとすると、間違いなく誰かと争わなければならない。慣れる頃になったのに毎回疲れるのも事実だ。主張しようとすると、また結果で証明しなければならないため負担も大きくて。ともかく、それでもこういうことは日常になったのに、"脳フィシャル(脳+official。*個人の考えを表す造語)"の憶測が実際1番意欲を落とすと思う。

 

Q.どんなことか。

A.少し前も、私の個人インスタグラムの投稿写真が憶測として所謂"叩かれる"ことがあった。コミュニティーをやらないため伝え聞いた。かなりあきれた内容なので周囲の関係者など知人たちを含め会社から、対応する価値が無い無視しなければならない事案だと聞いた。しかし悔しいのが嫌いな性格でもあり、放置が最善なのか分からず忙しい真っ只中であったが、少し考えてみた。私は論理的展開が好きな人間なので、それに相応する事案なら訂正すれば終わると思ったが、想像をベースに攻撃が目的である事案は論理的な対応を受け入れない可能性が高いため困った。問題提起時点だけ見ても故意性が疑われるため尚更だった。皆、無視が答えだと助言してくれたが、無実にやられる理由もない。New Jeansというチームの結果を健康な感じだと好評しながら作業意図を疑うほど辻褄の合わない言葉があるだろうか。

 

Q.どうやって対応するのか。

A.事案をミラーリングしてみると矛盾点がすぐ現れる。コミュニティー等によく投稿される綺麗なスクリーンショット、写真を楽しむ人がその出典のディテールとストーリーを全て把握し載せて呼応したのだろうか。自分は特に考え無しにスクラップして好きでもよくて、他人は意図的だと主張するほどのダブルスタンダードもない。それとも彼らが問題視するものをプレゼントしてくれた私の知人たちが皆問題だというのか。誰かが私にコミュニティーの文章をキャプチャーして送ってくれて、"誹謗人"の性向を指摘した。彼らは伊藤潤二漫画のヒロイン・富江と女性芸能人を比較する。これに対して喧嘩を売るネチズンに"誰があんな設定を考えながら富江に似ているというのか"、"それを見て富江がバラバラ殺人に関連があって何とか揚げ足を取るのがむしろXXだと思うんだけど"と言った。自分たちの意図を曲解するなという意味だが、常識的には同じ脈絡ではないか。議論の中には知らない映画と合わせた絵もあるのに、絵は全く映画と無関係なだけでなく、小さな写真の中の絵でどんなディテールを論じるというのか。実際、批判者たちの虚構小説にこんな言葉を添えるのが情けないほどだ。指摘するときりがないが、教えてくれると言われそうでもなく。とにかく虚構小説の流布と冒涜のレベルが深刻で、ただやりすごしてはいけないという会社および多くの意見に従って、民事・刑事訴訟に着手した。悪質コメントもファンだと思ってその間過ごしてきたが、法律検討で違法事項がかなりの数摘発された。これを契機にこれからの問題を予防する次元、メンバーたちの権益保護のためにもADOR
担当組織を新設することになった。

 

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Q.こういうことに毅然としているかと思った。

A.悪意のある誹謗に慣れる人が果たしているだろうか。我慢してきた話を少ししたい。どうしても消費層の仕事に対する理解度が低かったり協業過程に対する理解が不足しているからかもしれないし、そうしようとすると見逃してきたことが多い。過去SM時代にも憶測が多かった。クリエイティブ職は協業者の特性や時期、プロジェクトの性格によって作業状態が毎回同じではない。各プロジェクトごとに参加する作業者の寄与度が千差万別でありうるという意味だ。以前の作業を問題視するなら、一層その時代には私が総括プロデューサーではなかったため、作業に参加した皆を問題視できるようになる。例えばポーズを誘導したフォトグラファー、自発的にポーズをとった芸能人、スタイリングしたスタイリスト、直接演出したMV監督など。ディレクターの意図と別に当時の作業参加者たちの意図は識別が難しいだけでなく、事例が全て異なるためあえて問題にすれば、結果物を直接指示したり最終コンファームした社主まで全て問題になりうるという意味だ。これまで私の作業が好評を受けた時には"(ミン・ヒジン)一人で作業したんじゃない"という主張が伴ったりもしたが、そのような主張をしたければ反対の場合にも適応されなければならないのではないか。

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